はじめまして。話がとても長くなりますが、お願いします。聞いてください。
私は小さな頃から、内向的な性格で自己主張するのが、とても苦手な子でした。 そのような性格もあってか中学生になり、からかわれたりされることが多くなりはじめました。 初めは、物を隠されたり、馬鹿にされたりぐらいでしたが、何をされても言い返せない私が面白かったのか、行為がどんどんエスカレートしていき学校が終わると、使われていない教室に呼び出されて、プロレスごっこと称して、複数人から、相手が満足するまで我慢して解放される日が続きました。 当時の私は、そのような日々が続き精神的に少しおかしくなっていて、殴られても、私がいじめらたと思わなければ、いじめられていない。だから大丈夫なんだ。と現実逃避するようになっていました。 ですが、ある日、学校が終り、いつも通りプロレスごっこがはじまりその日はいつもよりも何故か激しく殴ってきました。 いつもなら顔だげは絶対に殴ってこないはずなのに、その日だけは違っていて、鼻の当りを思い切り殴られました。 殴られた瞬間、周りの音が消え、鼻の奥から鋭い痛みが広がり、止められないくらい鼻から血が出てきました。 自分の血を見て、それまで我慢していたものが、自分の中で崩れました。 ああ僕はいじめられてるんだと、いままで必死に見ないようにして逃げていた、自分を見てしまいました。 幸いなことに鼻の骨は折れず、骨にヒビが入っただけですみました。病院へは、母に連れて行ってもらいましたが、母にはどうしたのと聞かれましたが、階段で転んだんだといったら、それっきり聞かれませんでした。 何故かイジメのことは両親にも誰にも、話せませんでした。 その頃から頭の中に膜が張ったような感じで、ボーっとすることが多くなりました。勉強も何もかも手に付かないような状態が続き、自分が自分ではなくなっていきました。 ある日、鼻を殴った同級生に呼び出され、こないだのことがバレたら進路にひびく、だから絶対にだれにもいうな、と言ってきました。私は、わかったよ誰にも言わないよと返事を返し、それ以後、プロレスごっこもなくなりました。 ですが、その頃の私は自分のことも、他のこともどうでも良くなっていました。自分の人生のことや先のことも全く考えられなくなっていました。 高校も行くつもりがないと、両親に伝えましたが、両親はイジメのことなど、もちろん知りませんので、激怒し行く行かないにしろ、受験はしろと言われました。 ですが、この頃の私は学校というものについて拒絶感でいっぱいで他のことが、全く考えられませんでした。 入学したらスグやめよう。もう何も考えたくない、という気持ちで入学しました。 入学後はすぐ辞るつもりでしたので、入学後のテストなど、何もかも、名前も書かないで提出してました。それが続くと、両親の方へも連絡が行き、なんでやらないんだと、なんでわからないんだ、と言われました。ですがもう何もわからなくなっていたので、学校に行ったり、行かなかったりを繰り返して、3年に進学した頃に、もう耐えられない。もう何もかも嫌だと感情が一気にあふれ出し、親の反対を押し通して自主退学しました。 両親は、もうお前何か知らない、勘当だと、家から出て行けと激怒し、私もこんな家もういたくないと家を飛び出しました。 頼れる友人もなく、携帯電話も止められ、住む場所もなく、ふらふらと何をするわけでもなく、今日はどこで寝ようか、仕事もどうしようかなと、これからどうなるんだろうと考え公園で寝たりしてました。 ある日、中学生の頃の不良グループの一人にたまたま会いました。彼は高校に入学して、すぐに退学になって、それから家出をした子が集まるところがあって、行く場所も何もない私は、彼について行き、その場所に住まわせてもらいました。 住みはじめたのは良かったのですが、お金も携帯もなく、タダ飯食わせてもらうわけにもいかないので、ハローワークへ行き仕事を探しました。 この時は、まだ未成年だったので正社員ではなく、アルバイトとして働かせていただきました。忙しい会社だったので朝の8時から夜の10時くらいまで、月曜日から土曜日まで働きました。 お給料はアルバイトなので雀の涙ほどでしかもらえませんでしたが、何をするにしてもまずはお金なので、お金を貯めるため頑張りました。 ですが、一年くらい過ぎた頃、一緒に住んでいた人にお金を盗まれてしまいました。コンビニで買い物するために一緒に行き、お金を下ろしてる最中に後ろから、暗証番号を見ていたらしく、私がいないときを見計らって、20万円ほど下ろされ返してもらえませんでした。 とてもショックでしたが、私もここに置いてもらってる以上何も言えず、もうここにはいられないなと思いました。ですが実家には帰れないので、どこか寮付きの会社ないか探していたところ、知り合いに建設会社をやってる社長がいるとのことで、紹介していただき、早速面接へ行きました。 すると未成年で学歴もない私を、携帯電話も車の免許代金も出してくれるといい、ちょっと気前が良すぎるかなと思いつつも、いい人で良かったと思いそこの入社しました。 ですが実際入社してみると、住む場所が寮といっていたのに、プレハブだったりして、面接といってることが全然違っていて、仕事も朝現場に行き、夕方の5時まで仕事をしたあと、家に帰りご飯を食べて、少し寝て、夜の1時から朝方の4時まで現場の資材搬入をし、家に帰り、少し寝て、現場が朝の8時からなのでそれまでに現場へ行くというような生活が続きました。 ある時、足の指先が痺れはじめ、次第に痺れの範囲が大きくなり、常に太ももに足をつるような傷みが出てきて、痛みで夜中に2、3度、目が覚めるようになりました。普通に歩くのも困難になり、病院へ行ってみると、背骨のクッションが飛び出していて神経に触っていると言われ、椎間板ヘルニアだと言われました。 なので社長に辞めたいと相談してみると、ふざけたこというな埋めちまうぞと、言われ怖くて、何も言い返せないまま、痛みを我慢したまま仕事をする日々が続きました。 ある日、同僚から飲食店にいるからお前も来いと言われ、行ってみると、会社関係の方や、見たこともない人たちいました。 その中に少し見覚えのある中年の男性がいて、私のこと見ると、お前もしかして〇〇のせがれかと父の名前を出してきたので、父の知り合いなら道理で見覚えのある顔なわけだと思いました。 続けてその人は、何でこんなところにいるんだ、こんなところにいたら駄目だと言ってきました。 でも私は、辞めたくても辞められなくて、行くところもないし、どうしようもないじゃないかと思い怒りがわいてきました。 ですが、父の知人は、お前の父親はここにいることをしっているのかと聞いてきたので、知らないですよと言いました。 その後、その人はすぐに私の父に連絡を取り、あんなところにいさせたら駄目だと父に連絡してくれたらしいです。 そのおかげもあって、会社を辞めることができました。私はその時はじめて親に愛されていたんだと強く実感できました。父の知人にも感謝でいっぱいです。 2年半ぶりに家に帰り、世の中、学歴が一番大切ではないにしろ、学歴も大切なんだと社会の荒波にもまれ実感したので、自宅で休養しながら高卒認定試験をとるために勉強をし始めました。すると、自分の知らないことを新たに知る幸せってこんなにも素晴らしいことなんだと生まれて初めて感じました。 高卒認定試験も無事に合格し、これからの自分の人生について考え始めるようになりました。先生の本に出会ったのはその頃です。 先生の本を読んでいて先生は私なんかよりもずっと辛い思いをされてきたのに凄いと思うと同時に自分だけじゃないんだと大変励みになりました。 それから腰も良くなり、仕事をはじめました。田んぼや草刈などの家の手伝いもやるようになりました。地域の活動にも参加するようになり、ゴミ拾いのボランティア、お祭りの若い衆、消防団の操法大会などいろいろな行事に参加しました。 そのような日々を送る中、私が中学生の時に、鼻を殴りヒビをいれた同級生と会いました。彼は中学を卒業後、高校、大学へと進学し、今は銀行に就職してると言っていました。 だからといって、彼を嫉んだり憎ましいと思う気持ちはわいてきませんでした。私がいじめられたのは、私がきちんと嫌なことは嫌だと自己主張できなかったりなど自分に非があると思いますし、彼も彼なりに受験のストレスで、そういった行為をしてしまったのかなと、思います。 ですが、やはり、イジメられたときの悔しさや惨めさなどの感情は自分の中に残っており、いまでもイジメにあっていた頃の夢を見て、全身に汗をかいて目が覚めることがあります。 話が戻りますが、その彼と話をしている時に、ふと、私が海外に行きたいなと言ったとき、彼は鼻でフッと笑い、え、お前が、どこに、と言われました。私が同級生からどう見られているのか、わかりました。少し悲しかったです。
それと、話はもっと戻りますが、その彼と会うもっと前の成人式の話です。 成人式行きたくありませんでしたが、当時の私は成人式は嫌でも行かなくてはならないという、おかしな固定観念があり、行くことにしました。 今でもその出来事を思い返すたびに行かなければ良かったなと思うことがあります。 成人式へ行き、久しぶりに会う同級生は、挨拶程度で特に話をすることもなく、このまま何事もなく終わるかなと安堵していました。偉い人の話も終わり、紙の袋の中にいろいろと成人式の記念のものが入っているものをもらい、外で記念撮影の順番を待っているときに、またか、と思う出来事が起きました。 中学では私に対してイジメなどしてこなかった人たちがタバコを吸いながら私のほうへやって来て、吸っているタバコの灰などを私の袋へ入れました。やっている本人たちは面白半分なのは、わかっていますが、私はあまりに悲しくてその場に袋を置き、その場を去り、家に帰りました。 その後、なぜ、私は、いつまでもこんなことをされているのか、ということを、考えてみました。 考えてわかったことですが、彼らの中で私は何も変わっていなく、落ちこぼれのままなのです。なので彼らからすれば私に対しては、なにをしても大丈夫なやつぐらいの認識なのかなって思いました。それはこれまでも、そしてこれからも。
せっかく家に帰ってきたのに悲しかったです。
今は28歳になり通訳の仕事がしたくて、一人暮らししながら、ロシア語を勉強しています。 ですが、弱気になってしまう時があります。特にイジメられていたころの夢を見たときです。こないだも見ました。別に誰かを恨んでるわけでもないのに、いまだに見てしまいます。夢を見た後は必ず当時の感情が蘇ってきます。悔しさや惨めさなど、とても強い感情がです。
この先、私の人生のなかでこの感情から解放される日はくるのでしょうか
私も、先生のように輝きたいです。 一度でもいいから、ほんの一瞬でもいいから輝きたいです。
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宮本延春 - 2016/05/17 18:52:52 |
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トンビ様
初めまして。
書き込み、ありがとうございます。
これだけの文章を書くのは かなり時間がかかったことでしょう。
また それだけトンビ様のお気持ち そして思いが深いのだと受け止めております。
さて 本文を読ませて頂きました。
「私は小さな頃から、 内向的な性格で自己主張するのが、 とても苦手な子でした。」
私とまったく同じです。
「殴られても、 私がいじめらたと思わなければ、 いじめられていない。 だから大丈夫なんだ。 と現実逃避するようになっていました。」
このお気持ちも充分に理解できます。
辛い時期を、ずっと1人で頑張ってこられましたね。
「ああ僕はいじめられてるんだと、 いままで必死に見ないようにして逃げていた、 自分を見てしまいました。」
トンビ様のお気持ちを考えると 強く胸が締め付けられます。
「何故かイジメのことは両親にも誰にも、 話せませんでした。」
よくぞ話してくれました。 心から感謝申し上げます。
「勉強も何もかも手に付かないような状態が続き、 自分が自分ではなくなっていきました。」
本当に自分を見ているようです。
それと同時に 私も当時の気持ちを思いだしております。
ご両親に気持ちを伝えられず 学校のことで仲違いをしてしまい ずいぶんと辛い経験をされたのですね。
お気持ちを察するばかりです。
家を飛び出した先にも苦労が絶えず 様々な不安にも耐え よく今日まで頑張ってこられましたね。
並大抵なことではなかったでしょう。
世間には 弱い者を食い物にする人間もいますが お父様のご友人のように 心ある人もいます。
良いきっかけを得て 本当に良かったですね。
また
「自分の知らないことを新たに知る幸せって こんなにも素晴らしいことなんだと生まれて初めて感じました。」
学ぶ喜びも知ることができて 本当に嬉しいです。
「それから腰も良くなり、仕事をはじめました。」
身体も快復されたことも 本当に良かったです。
さて
「私が同級生からどう見られているのか、わかりました。 少し悲しかったです。」
これは悲しい思いをしましたね。
私は部外者ですが トンビ様のことを粗末に扱い 蔑む方たちに憤りを感じます。
「彼らからすれば私に対しては、 なにをしても大丈夫なやつぐらいの認識なのかなって思いました。 それはこれまでも、そしてこれからも。」
ただ、相手がどう思うのかは 相手の問題なのでトンビ様が悩んでも 何の解決にもなりません。
その方たちが いずれ家庭を持ち 自分よりも大切な存在である我が子を持ったとき もしかしたら反省してくれるかもしれない それくらいの期待を持つしかないのかもしれません。
「この先、私の人生のなかで この感情から解放される日はくるのでしょうか」
時間はかかると思いますが まずはトンビ様が 自分で自分を認めてあげられる人物になること かもしれません。
「今は28歳になり通訳の仕事がしたくて、 一人暮らししながら、ロシア語を勉強しています。」
このことを切っ掛けにして どうかご自身の世界を広げ 磨いて欲しいと願っています。
私は、いつもトンビ様を応援しています。
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